≪コーダイ文芸科 科目番号:36≫  

      ドラマテックに学ぶ古事記万葉集

         講師:林 和清 先生

 

  古事記  第二回 イザナキ黄泉の国へ 】  

◇ 国産み神話 ◇

天津神達は、イザナキトイザナミに「この漂っている国土を有るべき姿に整え固めなさい。」と命じ、天の沼矛(アメノヌボコ)をお授けになりました。

そこで二神は天の浮橋の上にお立ちになって、その沼矛で国土を掻きまわし、沼矛を引き上げると、沼矛の先から滴る潮(塩)が積もって島になりました。これを淤能碁呂島(オノコロシマ)といいます。



伊耶那岐命・伊耶那美命が淤能碁呂島に降りてみると、その島には天の御柱と八尋殿(ヤヒロドノ)がありました。  

イザナキ:「貴女の身体はどのようにできているのですか。」

イザナミ:「私の身体はほぼ整っているのですが、足りない所が一箇所だけあります。」

イザナキ:「私の身体は既に整っているのですが、それが高じて余った所が一箇所だけあります。

だから、私の身体の余った所で貴女の身体の足りない所を挿し塞いで国を生もうと思います。それでどうでしょう?」

イザナミ:「ええ,結構ですわ。」

イザナキ:「それならば、私と貴女でこの天の御柱のまわりをめぐって出会い、寝所で交わりをしましょう。貴女は右からまわって下さい。 私は左からまわりましょう。」

 そして、二神がその方法に同意して柱をめぐり出会った時に、まず伊耶那美命が声をかけました。

イザナミ:「まぁ、あなたはなんて素敵な方なの!」 

イザナキ:「あぁ、きみはなんて素敵なひとなんだ!」

イザナキ:[……女性が先に言うのは良くなかったのでは?」

とは言うものの、二神はそのまま交わって子を生みましたが、生まれた子は水蛭子(ヒルコ)と淡島(アワシマ)でした。二神は困ってしまって天津神に相談しますと、天津神は「女性が先に言葉を言ったのがよくなかったのだ。もう一回やりなおしなさい。」と指示しました。

そこで、再び二神は天の御柱をめぐり出会いをやりなおし、今度は先に伊耶那岐命が声をかけたのです。

イザナキ:「あぁ、きみはなんて素敵なひとなんだ!」

イザナミ:「まぁ、あなたはなんて素敵な方なの!」

こう言い終わって交わると次々に子が生まれました。

 

 

淡道之穂之狭別島アワジノホノサワケノシマ(淡路島)、

次に 伊予之二名島イヨノフタナノシマ(四国)は身一つに4つの顔があり、それぞれ愛比売エヒメ(愛媛県)、飯依比古イイヨリヒコ(香川県)、大宜都比売オオゲツヒメ徳島県)、建依別タケヨリワケ(高知県)といいます。

次に三つ子の隠伎之三子島オキノミツゴノシマ(隠岐島)(またの名を天之忍許呂別アメノオシコロワケ)といいます。

次に筑紫島ツクシノシマ(九州)も身一つに顔が4つあり、白日別シロヒワケ(福岡県)、豊日別トヨヒワケ(大分県)、建日向日豊久士比泥別タケヒムカヒトヨクジヒネワケ(長崎県熊本県佐賀県・宮崎県)、建日別タケヒワケ(熊本県・鹿児島県)といいます。

次に伊岐島イキノシマ(壱岐島)を生み、またの名を天比登都柱アマヒトツハシラといいます。

次に津島ツシマ(対馬)、またの名を天之狭手依比売アメノサデヨリヒメ。

次に佐渡島サドノシマ(佐渡島

次に大倭豊秋津島オオヤマトトヨアキヅシマ(本州)、またの名を天御虚空豊秋津根別アメノミソラトヨアキヅネワケといいます。

 

この八つの島がまず生まれたので、大八島国(オオヤシマノクニ)といいます。

それから御帰りになった時に、

吉備児島キビノコシマ(岡山県児島半島)=建日方別タケヒカタワケ、

次に小豆島アズキシマ(香川県小豆島)=大野手比売オオノテヒメ

次に大島オオシマ(山口県屋代島?)=大多麻流別オオタマルワケ

次に女島オミナシマ(大分県国東半島沖の姫島)=天一根アマヒトツネ

次に知訶島チカノシマ(長崎県五島列島)=天之忍男アメノオシオ

次に両児島フタゴノシマ(五島列島南の男島女島?)=天両屋アメノフタヤ

吉備児島から両児島まで合わせて六島です。

 

神々の生成

 さてそこで、イザナキ命が言うには、「愛しい妻の命を、たった一人の子に代えようとは思わなかった」と言って、枕もとに這い臥し、足元に這い臥して泣き悲しんだ時に、その涙から生まれた神は、香山の麓の木の本(このもと)に鎮座している、名は泣沢女(ナキサワメ)神です。

 そして、亡くなったイザナミ神は、出雲国と伯伎国(ははきのくに)の境の比婆の山(ひばのやま)に葬られました。

 

 そこでイザナキ命は、腰につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その子カグツチ神の首を斬りました。

 すると、その剣先についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、石拆(イハサク)の神、次に根拆(ネサク)の神、次に石筒の男(イハツツノヲ)の神です。

 次に剣の根元についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、甕速日(ミカハヤヒ)の神、次に桶速日(ヒハヤヒ)の神、次に建御雷の男(タケミカヅチノヲ)神、またの名は建布都(タケフツ)の神、またの名は豊布都(トヨフツ)の神です。

 次に剣の柄にたまった血が、指の間から漏れ流れて生まれた神の名は、闇淤加美(クラオカミ)の神、次に闇御津波(クラミツハ)の神である。

 以上のイハサク神よりクラミツハ神までの合わせて八神は、剣によって生まれた神です。

 

 そして殺されたカグツチ神の頭から生まれた神の名は、マサカヤマツミ神である。

 次に胸から生まれた神の名は、オドヤマツミ神である。

 次に腹から生まれた神の名は、オクヤマツミ神である。

 次に陰部から生まれた神の名は、クラヤマツミ神である。

 次に左手から生まれた神の名は、シギヤマツミ神である。

 次に右手から生まれた神の名は、ハヤマツミ神である。

 次に左足から生まれた神の名は、ハラヤマツミ神である。

 次に右足から生まれた神の名は、トヤマツミ神である。

 マサカヤマツミ神よりトヤマツミ神まで合わせて八神。

 そして、斬る時に用いた太刀の名は、天の尾羽張(アメノヲハバリ)と言い、またの名を伊津の尾羽張(イツノヲハバリ)と言います。

 

◇ 黄泉の国神話 ◇

  伊邪那美イザナミ)は,島々などを生んで最後に火の神(カグツチ)を生んだが、その出産によって体を傷めて亡くなってしまった。残された伊邪那岐(イザナキ)は、「愛しいお前を子供一人と取り替えてしまったことよ!」と嘆いて、死体の枕もとと足元に腹ばって激しく泣いた。そして伊邪那岐は、伊邪那美を比婆の山に葬り、剣で火の神を切り殺した。

【黄泉の国】

伊邪那岐は、妻であった伊邪那美にもう一度会いたいと思い、あとを追って黄泉国に行った。伊邪那美が御殿の閉ざされた戸に現れた時、伊邪那岐が言った。

「愛しい我が妻よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終わってなどいない。だから、現世に戻ってきてくれ」すると、伊邪那美が答えた。

「それは残念なことです。もっと早く来て下さればよかったのに。私はもう、黄泉国よみのくにの食物を食べてしまったのです。けれども、愛しい我が夫が、わざわざ訪ねて下さったことは恐れいります。だから帰りたいと思いますが、しばらく黄泉国の神と相談してみます。ですが、その間、私の姿を御覧になってはいけません」

 こう言って伊邪那美は、その御殿の中に帰っていったが、その間がたいへん長くて、伊邪那岐は待ちきれなくなられた。それで伊邪那岐は、左の御角髮(みかずら)に挿していた神聖な爪櫛(つまぐし)の太い歯を一本折り取って、これに一つ火を灯し、御殿の中に入って御覧になると、女神の身体には蛆がたかり、ゴロゴロと鳴って、頭には大雷(おおいかずち)がおり、胸には火雷(ほのいかずち)がおり、腹には黒雷(くろいかずち)がおり、陰部には析雷(さくいかずち)がおり、左手には若雷(わかいかずち)がおり、右手には土雷(つちいかずち)がおり、左足には鳴雷(なるいかずち)がおり、右足には伏雷(ふすいかずち)がおり、合わせて八種の雷神がいた。

 これを見た伊邪那岐は驚き、恐れて逃げて帰ろうとすると、伊邪那美は、「私によくも恥をかかせたな」と言って、ただちに黄泉国よみのくにの醜女しこめを遣わして追いかけさせた。

そこで伊邪那岐は、髮に着けていた黒い鬘かずらを取って投げ捨てると、たちまち山ぶどうの実が生った。

これを醜女しこめたちが拾って食べている間に逃げのびた。

 しかし、まだ醜女しこめたちが追いかけて来たので、伊邪那岐は今度は右の御角髪(みかずら)に挿していた爪櫛(つまぐし)の歯を折り取って投げ捨てると、たちどころに筍が生えた。

それを醜女しこめたちが抜いて食べている間に、伊邪那岐は逃げのびた。

 しかしその後、その八種の雷神に、千五百人もの大勢の黄泉国よみのくにの軍勢を従わせて追跡させた。

そこで伊邪那岐は、身に着けておられる十拳剣とつかのつるぎを抜いて、うしろ手に振りながら逃げて来られた。

 なお追いかけてくるので、現世と黄泉国よみのくにとの境の黄泉比良坂よもつひらさかの麓にやって来たとき、伊邪那岐は、そこに生っていた桃の実を三つを取って、待ちうけて投げつけたところ、黄泉よみの軍勢はことごとく退散した。

そこで伊邪那岐いざなきは、その桃の実に向かって言った。

「おまえが私を助けたように、葦原中国あしはらのなかつくにに生きているあらゆる現世の人々が、つらい目に逢って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ」と言って、桃の実に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という神名を与えられた。

 最後には、女神である伊邪那美自身が追いかけて来た。

そこで伊邪那岐いざなきは、巨大な千引の岩(ちびきのいわ)をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据えて、その岩を間に挟んで二神が向き合って、夫婦離別の言葉を交わした。

伊邪那美いざなみが言う。「愛しい我が夫がこんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を、一日に千人締め殺す」

 すると伊邪那岐いざなきは、「愛しい我が妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てる」。そんなわけで、一日に必ず千人の人が死ぬ一方で、一日に必ず千五百人の人が生まれるのである。

 これを見た伊邪那岐は驚き、恐れて逃げて帰ろうとすると、伊邪那美は、「私によくも恥をかかせたな」と言って、ただちに黄泉国の醜女を遣わして追いかけさせた。
そこで伊邪那岐は、髮に着けていた黒い鬘(かづら)を取って投げ捨てると、たちまち山ぶどうの実が生った。
これを醜女たちが拾って食べている間に逃げのびた。
 しかし、まだ醜女たちが追いかけて来たので、伊邪那岐は今度は右の御角髪(みかずら)に挿していた爪櫛の歯を折り取って投げ捨てると、たちどころに筍が生えた。
それを醜女たちが抜いて食べている間に、伊邪那岐は逃げのびた。

しかしその後、その八種の雷神に、千五百人もの大勢の黄泉国の軍勢を従わせて追跡させた。
そこで伊邪那岐は、身に着けておられる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、うしろ手に振りながら逃げて来られた。 
 なお追いかけてくるので、現世と黄泉国との境の黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓にやって来たとき、伊邪那岐は、そこに生っていた桃の実を三つを取って、待ちうけて投げつけたところ、黄泉の軍勢はことごとく退散した。
そこで伊邪那岐は、その桃の実に向かって言った。
「おまえが私を助けたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に生きているあらゆる現世の人々が、つらい目に逢って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ」と言って、桃の実に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という神名を与えられた。

最後には、女神である伊邪那美自身が追いかけて来た。
そこで伊邪那岐は、巨大な千引の岩をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据えて、その岩を間に挟んで二神が向き合って、夫婦離別の言葉を交わした。
伊邪那美が言う。「愛しい我が夫がこんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を、一日に千人締め殺す」、すると伊邪那岐は、「愛しい我が妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てる」
 そんなわけで、一日に必ず千人の人が死ぬ一方で、一日に必ず千五百人の人が生まれるのである。

 

黄泉比良坂(よもつひらさか)」

日本神話において、生者の住む現世と死者の住む他界黄泉)との境目にあるとされる、または境界場所。

 生者と死者の住む領域に境界場所があるとする神話は、三途の川などとも共通する思想であり、世界各地に見当たる。日本神話での黄泉比良坂は古墳の石造りや、棺を納めた石室に通じる道からの印象とも考えられている。

 『古事記』では上巻に2度登場し、出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)がその地であるとする伝承がある[1]。「ひら」は古語で「崖」を意味するとされる[2]。

祓いの観念と関連があるものともされる。

   多賀大社滋賀県彦根イザナギイザナミ祀る縁結びのパワースポット

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                                      講師:林 和清 先生

 

  古事記を学ぶ  第一回 天地開闢 てんちかいびゃく】

 ・古事記は、日本の歴史・神話・伝承を収めた最古の歴史書であり、8世紀初頭に編纂されたとされています。古代日本の神話や歴史上の出来事、神々や英雄たちの物語などを、漢字文化が伝来する前に口承されてきた伝承を、漢字文化のもとでまとめられたものです。また、天皇の系譜や国家の創成に関する記述も含まれています。古事記は、日本の文化・歴史の基礎となる書物の1つとされています。

 

古事記は、天武天皇の命により稗田阿礼が暗唱していた『帝紀』・『旧辞』を太安万侶が書き記し、」編纂したものとされている。

 

           (稗田阿礼太安万侶

             

 

                (太安万侶墓 奈良市此瀬町

 

古事記に関する基本情報

  • 完成年 712年(和銅5年)  ・巻数  3巻    ・表記方法 和文

内容

3巻、つまり上巻(神話)、中巻と下巻(天皇家の系譜や事績など)からなる。

古事記上つ巻】                     

神話は、人が、大地やそれを取り囲む異界や自然、あるいは神も魔物も含めた生きるものすべての関係を、始まりのときにさかのぼり、そこに生じた出来事として語ろうとする。

それによって、今ここに生きる根拠を明らかにし、また未来を生きる根拠も明らかになる。それが限りない未来を約束することで、共同体や国家をゆるぎなく存続させます。

 

・20世紀の著名な歴史学者アーノルド・トインビーが残した次の言葉を心にとどめるべきであろう。

『12,13歳くらいまでに、民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる』

『文明は状態ではなく、運動である。港ではなく、航海である』

 

第1回 天地開闢(てんちかいびゃく)-----はじめて世界がひらかれる。

天地《あめつち》初めて発(あらは)れし時、高天原《たかまがはら》に成りし神の名は、天之御中主神《あめのみなかぬしのかみ》。次に、高御産日神《たかみむすひのかみ》。

次に、神産巣日神《かむむすひのかみ》。此の三柱《みはしら》の神は、並《とも》に独神《ひとりがみ》と成り坐《ま》して、身を隠しき。

天と地とが初めて分かれてたときに、高天原たかまのはらに現れ出でた神の名はアメノミナカヌシノカミ次にタカミムスヒノカミ次にカムムスヒノカミである。この三柱の神は、すべて単独の神として出現した神であり、姿を現わされなかった。

 

次に、国稚《くにわか》く浮ける脂の如くして、くらげなすただよへる時、葦牙《あしかび》の如く萌え騰《あが》れる物に因《よ》りて成りし神の名は、宇摩志阿訶備比古遅神《うましあしかびひこぢのかみ》。次に、天之常立神《あめのとこたちのかみ》。此《こ》のニ柱《ふたはしら》 の神も亦《また》、並《とも》に独神《ひとりがみ》と成り坐《ま》して、身を隠しき。

上《かみ》の件《くだり》の五柱《いつはしら》の神は、別天つ神《ことあまつかみ》なり。

次に、国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、クラゲのように漂っていた時、葦あしの芽が泥沼の中から萌え出るように、萌え上がる力がやがて神と成った。それがウマシアシカビヒコジノカミであり、次に、アメノトコタチノカミである。この二柱の神も、単独の神として出現し、姿形を現わされなかった。 以上の五柱の神は、天つ神あまつかみの中でも特別の神である。

 

次に、成し神の名は、国之常立神《くにのとこたちのかみ》。次に、豊雲野神《とよくもののかみ》。此のニ柱の神も亦、独神《ひとりがみ》と成り坐して、身を隠しき。

 次に成りし神の名は、宇比地邇神《うひぢにのかみ》。次に、妹《いも》須比智邇神《すひちにのかみ》。次に、角杙神《つのぐひのかみ》。次に、妹《いも》杙神《いくぐひのかみ》。

次に出現した神の名は、クニノトコタチノカミ、次に、トヨクモノカミである。この二柱の神も、単独の神として現れて、姿形を現わされなかった。 次に成り出でた神の名は、ウヒデニノカミ。次に女神のスヒヂニノカミ。 次いでツノグヒノカミ。次に女神であるイクグヒカミ。

 

次に、意富斗能地神《おほとのぢのかみ》。次に、妹大斗乃弁神《いもおほとのべのかみ》。次に、於母陀流神《おもだるのかみ》。次に、妹《いも》阿夜訶志古泥神《あやかしこねのかみ》。

 次に、伊耶那岐神《いざなきのかみ》。次に妹《いも》伊耶美岐神《いざなみのかみ》。

上《かみ》の件《くだり》の、国之常立神《くにのとこたちのかみ》より以下、伊耶美岐神《いざなみのかみ》より前、あわせ称して、神世七代《かむよななよ》。

上《かみ》の二柱《ふたはしら》の独神《ひとりがみ》は、各《おのおの》一代《ひとよ》と伝《い》ふ。次に双《なら》ぶ十《と》はしらの神は、各《おのおの》二神を合わせて一代《ひとよ》と伝《い》ふ。

次いでオホボクノチ神。次に女神であるオホボクノベ神。次いでオモダル神。次に女神のアヤカシコネ神。 次いで伊邪那岐イザナキ命次に女神の伊邪那美イザナミである。上に述べたクニノトコタチからイザナミまでを合わせて神世七代という)。